2026年06月23日
はじめに
わたしは島根県松江市在住の者です。仕事上の関係もあって本ブログにおいて本名を明らかにしないことをおゆるしください。
去る、2016年5月30日に、わたしが原告として起こした裁判が終わりました。
それは、松江市にあるとあるプロテスタントのキリスト教会で実際に起こった出来事に基づくもので、その結果、わたしの主人は2008年6月4日に、その教会の牧師に対する抗議の自殺をはかりました。
主人は、その後、医師による必死の治療もむなしく、2008年6月23日に入院先の病院で亡くなりました。主人は除草剤を飲んだ為、口には治療用の管を入れられ、体中医療器具につながれた痛々しい姿でした。
最期は、牧師に訴えたかった叫びも、私に言い遺したかった言葉や母や兄弟に伝えたかった想いも、ひと言も発する事もできず、眼を見開いたまま、涙を流しながら息を引き取りました。どれ程、無念で悔しかったかと思うと、わたしの心は張り裂けそうです。唯一の慰めは主人の呼吸が止まる前に好きだった賛美歌を耳元で歌ってあげられたことでした。
その後、わたしは主人の命をかけた抗議を無駄にしたくないと、その教会の牧師を訴えたのですが、裁判所の判決ではわたしたちの主張は棄却されました。
あまりにも理不尽な結果に私は言葉も出ませんでした。そして主人が自死を計る前の心境と全く同じ気持ちを味わいました。主人の人生とは一体何だったのでしょうか?
わたしたちは、かれこれ10年、その教会の信徒として、その牧師と非常に良好な関係を築き、一緒に神さまの栄光のために歩んでまいりました。
そもそものきっかけは、当時、同じ職場の同僚であった、この教会の女性伝道師の誘いがあり、それで被告教会へと行くようになりました。
その後、被告牧師から洗礼も受け、その牧師の誘いで20回余りも我が家で聖書研究を3人でし、その度に献金をしました。また、わたしたちの自宅を新築する時には、牧師や他の信徒さんたちと一緒にキリスト教式で起工式も行い、自宅の床下には2人で聖書も一緒に埋めました。
2008年にわたしの主人が牧師から、教会の監事に推薦され、それを引き受けました。監事になった頃の主人はいつも私に、僕が教会を立て直すよと希望を持った前向きの言葉を私に言っていました。
わたしの主人は、県職員として、常に真っ直ぐに生きて参りました。主人が県の職員時代に、上司が何年間も気付かなかった同僚による横領を発見し、メディアにも取り上げられ、そのことが大事件になった事がありました。その当時、検察庁に度々行き調査に協力したと話していました。その後、島根県会計事務協議会長より、会計事務の改善と能率の向上に尽くされた功績はまことに顕著にして、他の模範とするところあるという表象を受けました。そのように、この教会の運営のためにも、不正を許さず、神さまの前に真摯に生きていくことを常日頃から祈って生きていました。
そして、教会のためを思い、また牧師のためを思い、また教会の監事として、そのために色々と意見を述べさせていただいたのです。
しかし、何時の頃からか、牧師はそれを段々と疎ましく思うようになり、それまでは良好であった牧師との関係も次第に疎遠になり、また、わたしたち自身の生活上のこともあって、教会との関係がうまくいかない状況に陥りました。
その後、ある日、突然、牧師から主人が監事から解任されたという話を聞かされ、そのことについて色々と理由を尋ねたいと教会に連絡をするも、牧師との連絡が取れなくなりました。主人は「僕は何にも悪い事などしていないのに、僕は教会を良くしようと思って言っただけなのに」と落胆して泣いていました。
更に主人を追い詰めた原因の一つは教会へ誘った伝道師も牧師の味方につき、主人をかばうどころか、逆に嫌がらせに加担したことでした。主人は、「僕が仮に教会に誘った伝道師の立場だったら、必死にかばって上げるのに、それがこの教会を紹介した者の責任だと思う」と、この伝道師の思いやりのない対応にも、とても憤慨をしていました。裁判では、主人の監事解任の件は執事会で話し合いをしたと主張していましたが、主人への嫌がらせに加担した執事と私が電話で話した時には、執事会で主人の監事解任の話し合いなどしていませんと発言をされました。
牧師は、今後、わたしたちとの連絡を一切しないと一方的に言い、わたしたちはそれに対して、色々な方と相談しながら、時には警察に相談しながら、どうすれば良いかを模索しました。牧師は話し合いがしたくて主人が掛けた電話を一方的に切り、再度掛けても出ませんでした。話し合いを求める信徒に電話でさえも出ず切ってしまう牧師が一体どこにいるのでしょうか。悩める方を救う、[命の電話]の基盤をつくられた一人は牧師です。
自死を図る二日前に主人と私は警察に電話を掛けて、牧師の事を名誉毀損や横領について調べて欲しいと必死に頼みました。しかし調べて頂けませんでした。その直後の主人は、今迄見た事の無かった様な泣き方をしていました。その姿は本当に痛々しく、心と精神に何本も剣を刺され、魂から血を流している様な悲痛な泣き方でした。冷たい、氷つく様な雨に打たれた弱々しい子猫が、最後に残った力を振り絞って震えながら泣いている様な、切ない慟哭でした。神も仏もいない様な空虚な眼をして涙を流していました。まるで兵士が戦場で弾丸を撃ちつくし、やるべき事は全て行い、呆然と立ち尽くしていた様な状態でした。極度の無価値感に襲われ、それに加えて、牧師に自尊心をズタズタに切り裂かれた心境だったと思います。
主人が亡くなった後に分かったことですが、信徒さんの証言によると、過去からこの牧師に良かれと思い意見を述べた方は皆、「嫌がらせを受けるので思う事があっても、怖くて何も言えませんでした」と証言をしてくださいました。他の信徒さんの証言から分かりましたが、過去から、この牧師に教会の改善を願って意見を述べた信徒さんを、脅していたのです。更に牧師の立場でありながら、意見を述べた信徒さん達の名前を日曜礼拝の席で名指しして、「この人達とは交わらないで下さい」と指示まで出していたのです。現在社会問題になっている学校でのイジメと全く変わらないパワハラ行為を平然と行っていた事も分かりました。主人の事も牧師が信徒の前で名指しで言い、交わらないで下さいと言っていました。主人はそうした残酷で非道な対応をされたと思い深く傷つけられたのです。
そして、この二日後、わたしの主人は、2008年6月4日早朝、「教会に行く」と書置きをし、その後、帰ってきてから農薬を飲み自殺をはかりました。
主人の亡くなる数日前に、夫が抗議の自死をはかったことを事を、他の信徒さんに伝えようと病院から教会に行った時、副牧師と主人を教会に誘った伝道師とがわたしの肩をつかみ、「サタンよ去れ!」と言いながら、わたしを教会の外へ連れて出ました。その様子を見ていた牧師は、礼拝堂の奥にボーッと黙って立っているだけでした。牧師という立場を自覚しているのか、人の心も失っているとしか思えませんでした。
主人が息を引き取った時、20日間だけ主人の治療をして下さった医師は、声を上げて男泣きに泣いて下さいました。10年間通った、この教会の牧師は、主人が抗議の自殺をしたことを知っていながら、一度もお見舞いにも来ず主人の様子を尋ねる電話すらしませんでした。
主人の遺体を乗せた車を、生前勤務していた職場の前を走って頂きました。その後、牧師の自宅前に行きました。牧師に、主人の遺体に何か言ってやって下さいと伝えました。私は牧師が今迄主人に対してとった非道で冷酷な対応に対して、心から詫びて、「本当に傷つけて申し訳ありませんでした」と泣いて土下座でもして謝るのかと思っていました。
しかし牧師に主人に何と言ったんですかと聞くと、「神に祈りました。」と、その一言だけ言ったのです。私はこの言葉を聞いて、全身の血が逆流する程の怒りを感じ、「あんたが殺したんですよ」と牧師に絶叫して罵りました。私が言った、この世で最大の怨みと憎しみのこもった罵声に対して、牧師は、一言も言い返しませんでした。自分に全く非がないなら、私は殺していませんと言えたはずです。私が車のドアを怒り心頭に達して、バタ―ンと閉めた後の牧師は、苦しく歪んだ泣きそうな顔をしてドアを開けようとしました。その表情に私は真実を見た気がしました。私はこの牧師と同じ空間に主人の尊い遺体を置く事に嫌悪感を抱き、その場から去りました。
遺体が自宅に戻り、親族が哀しみと疲労と葬儀の準備で疲れはて、休もうとしていた深夜に、牧師と嫌がらせに加担した執事と副牧師の実母が突然訪問してきました。そして、執事は牧師の弁護を一方的にし帰ろうとしないので、父はこんな非常識な時間に来てと怒り、帰ってもらいました。
また、火葬場に着いた時、そこに牧師が勝手に入ってきて、分骨をさせて欲しいと骨壺を持って現れ、皆で断りました。
私が教会に行き主人が抗議の自殺を図ったと伝えた時、サタンよ去れと私を追い出しておきながら、何故分骨させて下さいと頼みに来たのでしょうか。主人が何度も牧師と話し合いたくて連絡をしようとした時、電話にも出ず一切の連絡を拒否した主人の遺骨を何故欲しがったのでしょうか。私は主人の自死に牧師の言動が関係していた事を認識していたからこそ分骨を迫ったとしか思えませんでした。
葬儀場にも牧師夫婦が現れましたが、主人の兄が怒って追い返しました。
主人の死後すぐに裁判を起こす予定でしたが、私の身に予期しない出来事が起こってしまいました。それは主人が亡くなった、一年後の一周忌の法要の帰りに、反対斜線から、飛び出して来た車に激突され、私が重傷を負ってしまいました。
そのとき、私は主人の遺影を抱いて座っていました。そして激突した車の運転手は即死という大事故でした。この時、私は心身共にショックで生きる気力を完全に無くし、正直私も主人の後を追って死のうと考えていました。
しかし、主人がどれ程、無念な思いや怒りや哀しみを抱いて亡くなっていったのか、ずっと側で見ていたので、その姿を思い出すと、私は死んでも死にきれないと思ったのです。思えば、主人が尊い自分の命をもって抗議した、その正義感が私を支え、牧師に対する深い深い憎しみも原動力の一部となっていたのだと思います。多くの友人が「主人は私を守ってくれたのだ」と励ましてくれた言葉も、私の支えになりました。
事故の為、私には後遺症障害が残りました。でも、辛く苦しいリハビリにも必死に耐え、そしてやっと裁判を起こす事が出来たのです。裁判を起こす直前に、この牧師の妻であった副牧師が、私側の弁護士事務所に電話を掛けて「用事があるなら、そっちから来い」と、副牧師の立場とは考えられない非常識な言動をされ、弁護士事務所の方々は大変驚かれました。 更に、牧師が提出した裁判用の教会の資料を多くの信徒さん達に見て頂きましたが、「こんな資料など見た事がありません」と、怪訝そうな顔をされました。
今なお、その牧師は依然、変わることなく牧師をしています。もちろん、主人を失った悲しみと苦しみ、その牧師に対する恨みは完全に癒されたわけではありません。
裁判を起こす前、牧師を自宅に招き、わたしたち親族5名と話し合いをしました。その時、白い布に包まれた主人の遺骨を牧師が座っていたソファの隣に置きました。話すことはできなくても、せめて、隣で魂の叫びを伝えさせてやりたかったからです。
しかし、事もあろうに、牧師は主人の遺骨に自分の肘をつきました。無神経極まりない配慮の欠如した行為に、この時、親族一同、激怒しました。
しかも、弁護士の方もコメントしてくださったのですが、この牧師は裁判において、原告側(わたしたち側)から陳述書を提出してくださった方々に、提出した陳述書の内容を書き直すように手紙を送付したり、電話をかけて陳述書の内容を書き換えさせるというような行為に出ました。こちら側の陳述書を書いた方を呼び出し、弁護士と同席の上で元の陳述書の内容を書き換えさせようとしたのです。牧師から虚偽の陳述書を書くように依頼され、それを断わった信徒さんもいました。
今回の裁判における牧師側の弁護士は、牧師の親族の知人で、今回の事件が起こる前から時々この教会の礼拝に出席されたことのある事を、教会の信徒の方から教えていただきました。
わたしは支配には二種類あると思います。一つは支配欲につき動かされた支配であり、もう一つは誰からも支配されたくない為に行う支配です。人はこの世に一人しか居ない、かけがえのない存在だと認識ができる人は人間を尊ぶ事を知っています。しかし、自身の潔白を画策しそのために何でもやる、そうした行為を受けた信徒さんの一人は、その牧師から嫌がらせを受けて教会を出られた方でした。
もし、わたしの主人の自死と無関係だと主張するなら、何故、このような陳述書の書き直しを求めるという暴挙に出る必要があったのでしょうか? そうした牧師の行動がすべてを物語っているように思います。また、裁判直後に、この牧師の友人である別の牧師は他の教会にまで出向いて、私を中傷する事実無根の内容を言いふらして歩いていました。私はこの牧師とは全く面識がなく、一度も会った事もありません。
今回の裁判にご協力をして下さった宗教トラブル相談センターの村上牧師をはじめとして、真摯にキリスト教を伝道し、多くの方を癒し救い聖書の高い倫理基準により、人生の崇高な指針を教えて下さっている他の牧師先生がどれ程心を痛めていらっしゃるのか、この牧師は分かっているのでしょうか。
しかし、わたしは、ただその牧師に対するそうした恨み辛みをここでぶちまけるために、このブログをはじめるのではありません。
人間とは何という壮大なドラマを背負った存在でしょう。
光と深い闇の双方を持ち合わせながら、人生という神秘的な道を歩み続ける存在なのではないでしょうか。
光を求めて教会に通った主人は、何故、このような痛ましい最期を自ら選ばなければならなかったのでしょうか?
わたしの主人は、クリスチャンとして実に教会を愛し、また牧師を愛し、わたしをも愛してくれました。
わたしはそんな主人の愛に応えるべく、亡き主人の意志を継ぎ、わたしたちの経験した不幸な出来事がなぜ「キリスト教会」という、本来、そうした不幸とは無縁なはずの所で起こったのか、そして、わたしたち経験した辛く悲しい出来事を他の人たちに、決して味わって欲しくないという願いから、 このブログをはじめる決断をしました。
人間には本来、全ての生命をいとおしみ、大切に感ずる心があるはずです。しかしこの様な混沌とした、激しい競争社会の中では、感受性豊かな心を失い、人を人とも思わず、人間の尊厳性さえ見失ってしまいがちです。
教会は本来、自分自信と向き合い、聖書の崇高な教えによって、人間らしさを取り戻してくれる聖域なのではないでしょうか。主人もそのような場所であると信じて、私と共に扉を叩きました。しかしこの教会で、主人の生きる希望は絶望へと変わり、命さえも奪われてしまいました。
しかし、わたしはキリスト教会は、すべての人にとって、悩みや苦しみに救いを与えてくれるところだと今なお信じています。
どうか、すべてのキリスト教会が、主イエス・キリストの救いを与えてくれる場所であり続けますよう、お祈りします。
ローマの哲学者より 今すぐにでも人生を去る者が如くあらゆる事を考え、話し、そして行動しなさい
去る、2016年5月30日に、わたしが原告として起こした裁判が終わりました。
それは、松江市にあるとあるプロテスタントのキリスト教会で実際に起こった出来事に基づくもので、その結果、わたしの主人は2008年6月4日に、その教会の牧師に対する抗議の自殺をはかりました。
主人は、その後、医師による必死の治療もむなしく、2008年6月23日に入院先の病院で亡くなりました。主人は除草剤を飲んだ為、口には治療用の管を入れられ、体中医療器具につながれた痛々しい姿でした。
最期は、牧師に訴えたかった叫びも、私に言い遺したかった言葉や母や兄弟に伝えたかった想いも、ひと言も発する事もできず、眼を見開いたまま、涙を流しながら息を引き取りました。どれ程、無念で悔しかったかと思うと、わたしの心は張り裂けそうです。唯一の慰めは主人の呼吸が止まる前に好きだった賛美歌を耳元で歌ってあげられたことでした。
その後、わたしは主人の命をかけた抗議を無駄にしたくないと、その教会の牧師を訴えたのですが、裁判所の判決ではわたしたちの主張は棄却されました。
あまりにも理不尽な結果に私は言葉も出ませんでした。そして主人が自死を計る前の心境と全く同じ気持ちを味わいました。主人の人生とは一体何だったのでしょうか?
わたしたちは、かれこれ10年、その教会の信徒として、その牧師と非常に良好な関係を築き、一緒に神さまの栄光のために歩んでまいりました。
そもそものきっかけは、当時、同じ職場の同僚であった、この教会の女性伝道師の誘いがあり、それで被告教会へと行くようになりました。
その後、被告牧師から洗礼も受け、その牧師の誘いで20回余りも我が家で聖書研究を3人でし、その度に献金をしました。また、わたしたちの自宅を新築する時には、牧師や他の信徒さんたちと一緒にキリスト教式で起工式も行い、自宅の床下には2人で聖書も一緒に埋めました。
2008年にわたしの主人が牧師から、教会の監事に推薦され、それを引き受けました。監事になった頃の主人はいつも私に、
わたしの主人は、県職員として、常に真っ直ぐに生きて参りました。主人が県の職員時代に、上司が何年間も気付かなかった同僚による横領を発見し、メディアにも取り上げられ、そのことが大事件になった事がありました。
そして、教会のためを思い、また牧師のためを思い、また教会の監事として、そのために色々と意見を述べさせていただいたのです。
しかし、何時の頃からか、牧師はそれを段々と疎ましく思うようになり、それまでは良好であった牧師との関係も次第に疎遠になり、また、わたしたち自身の生活上のこともあって、教会との関係がうまくいかない状況に陥りました。
その後、ある日、突然、牧師から主人が監事から解任されたという話を聞かされ、そのことについて色々と理由を尋ねたいと教会に連絡をするも、牧師との連絡が取れなくなりました。主人は「
更に主人を追い詰めた原因の一つは教会へ誘った伝道師も牧師の味方につき、主人をかばうどころか、逆に嫌がらせに加担したことでした。主人は、「僕が仮に教会に誘った伝道師の立場だったら、
牧師は、今後、わたしたちとの連絡を一切しないと一方的に言い、わたしたちはそれに対して、色々な方と相談しながら、時には警察に相談しながら、どうすれば良いかを模索しました。牧師は話し合いがしたくて主人が掛けた電話を一方的に切り、
自死を図る二日前に主人と私は警察に電話を掛けて、
主人が亡くなった後に分かったことですが、信徒さんの証言によると、過去からこの牧師に良かれと思い意見を述べた方は皆、「嫌がらせを受けるので思う事があっても、怖くて何も言えませんでした」と証言をしてくださいました。他の信徒さんの証言から分かりましたが、過去から、
そして、この二日後、わたしの主人は、2008年6月4日早朝、「教会に行く」と書置きをし、その後、帰ってきてから農薬を飲み自殺をはかりました。
主人の亡くなる数日前に、夫が抗議の自死をはかったことを事を、他の信徒さんに伝えようと病院から教会に行った時、副牧師と主人を教会に誘った伝道師とがわたしの肩をつかみ、「サタンよ去れ!」と言いながら、わたしを教会の外へ連れて出ました。その様子を見ていた牧師は、礼拝堂の奥にボーッと黙って立っているだけでした。牧師という立場を自覚しているのか、人の心も失っているとしか思えませんでした。
主人が息を引き取った時、20日間だけ主人の治療をして下さった医師は、
主人の遺体を乗せた車を、生前勤務していた職場
しかし牧師に主人に何と言ったんですかと聞くと、「
遺体が自宅に戻り、
また、火葬場に着いた時、そこに牧師が勝手に入ってきて、
私が教会に行き主人が抗議の自殺を図ったと伝えた時、
葬儀場にも牧師夫婦が現れましたが、主人の兄が怒って追い返しました。
主人の死後すぐに裁判を起こす予定でしたが、
しかし、
事故の為、私には後遺症障害が残りました。でも、辛く苦しいリハビリにも必死に耐え、
今なお、その牧師は依然、変わることなく牧師をしています。もちろん、主人を失った悲しみと苦しみ、その牧師に対する恨みは完全に癒されたわけではありません。
裁判を起こす前、牧師を自宅に招き、わたしたち親族5名と話し合いをしました。その時、白い布に包まれた主人の遺骨を牧師が座っていたソファの隣に置きました。話すことはできなくても、せめて、隣で魂の叫びを伝えさせてやりたかったからです。
しかし、事もあろうに、牧師は主人の遺骨に自分の肘をつきました。無神経極まりない配慮の欠如した行為に、この時、親族一同、激怒しました。
しかも、弁護士の方もコメントしてくださったのですが、この牧師は裁判において、原告側(わたしたち側)から陳述書を提出してくださった方々に、提出した陳述書の内容を書き直すように手紙を送付したり、電話をかけて陳述書の内容を書き換えさせるというような行為に出ました。こちら側の陳述書を書いた方を呼び出し、弁護士と同席の上で元の陳述書の内容を書き換えさせようとしたのです。牧師から虚偽の陳述書を書くように依頼され、それを断わった信徒さんもいました。
今回の裁判における牧師側の弁護士は、牧師の親族の知人で、今回の事件が起こる前から時々この教会の礼拝に出席されたことのある事を、教会の信徒の方から教えていただきました。
わたしは支配には二種類あると思います。
もし、わたしの主人の自死と無関係だと主張するなら、何故、このような陳述書の書き直しを求めるという暴挙に出る必要があったのでしょうか? そうした牧師の行動がすべてを物語っているように思います。また、裁判直後に、この牧師の友人である別の牧師は他の教会にまで出向いて、
今回の裁判にご協力をして下さった宗教トラブル相談センタ
しかし、わたしは、ただその牧師に対するそうした恨み辛みをここでぶちまけるために、このブログをはじめるのではありません。
人間とは何という壮大なドラマを背負った存在でしょう。
光と深い闇の双方を持ち合わせながら、人生という神秘的な道を歩み続ける存在なのではないでしょうか。
光を求めて教会に通った主人は、何故、このような痛ましい最期を自ら選ばなければならなかったのでしょうか?
わたしの主人は、クリスチャンとして実に教会を愛し、また牧師を愛し、わたしをも愛してくれました。
わたしはそんな主人の愛に応えるべく、亡き主人の意志を継ぎ、わたしたちの経験した不幸な出来事がなぜ「キリスト教会」という、本来、そうした不幸とは無縁なはずの所で起こったのか、そして、わたしたち経験した辛く悲しい出来事を他の人たちに、決して味わって欲しくないという願いから、 このブログをはじめる決断をしました。
人間には本来、全ての生命をいとおしみ、
しかし、わたしはキリスト教会は、すべての人にとって、悩みや苦しみに救いを与えてくれるところだと今なお信じています。
どうか、すべてのキリスト教会が、主イエス・キリストの救いを与えてくれる場所であり続けますよう、お祈りします。
ローマの哲学者より 今すぐにでも人生を去る者が如くあらゆる事を考え、話し、
2024年03月26日
信徒さん達の証言 元被告は過去から 同じイジメやパワハラを 何度も何度も繰り返していました。
信徒さん達の証言
元被告は過去から
同じイジメやパワハラを
何度も何度も繰り返していました。
同じイジメ、嫌がらせを
信徒さん達に繰り返し行っていて
何故?
いまだにその暴挙を止められない
のか?
その原因を真剣に突き止め
対処しなければ
又
主人の様な被害者がでる
危険性があります!
他人事と思わず
対応策を皆さまで考えましょう!
元被告は過去から
同じイジメやパワハラを
何度も何度も繰り返していました。
同じイジメ、嫌がらせを
信徒さん達に繰り返し行っていて
何故?
いまだにその暴挙を止められない
のか?
その原因を真剣に突き止め
対処しなければ
又
主人の様な被害者がでる
危険性があります!
他人事と思わず
対応策を皆さまで考えましょう!
3月24日 日曜日 地元のアマチュア ミュージックフェステバルに 行ってきました。
3月24日 日曜日
地元のアマチュア
ミュージックフェステバルに
行ってきました。
椎名林檎のバントドラマー
東京事変のドラマー
刃田綴色氏も出演され
パワフルな演奏にエネルギーを
もらいました。
義妹たちのバントも出演しており
作詞作曲した
オリジナル曲など聴き
楽しい時間を過ごせました。
心の洗濯ができました。
主人が生きていたら
一緒に隣で聴けたのに、、
地元のアマチュア
ミュージックフェステバルに
行ってきました。
椎名林檎のバントドラマー
東京事変のドラマー
刃田綴色氏も出演され
パワフルな演奏にエネルギーを
もらいました。
義妹たちのバントも出演しており
作詞作曲した
オリジナル曲など聴き
楽しい時間を過ごせました。
心の洗濯ができました。
主人が生きていたら
一緒に隣で聴けたのに、、
2024年03月18日
主人の自死によって 私や私達の家族が受けた ダメージには 計り知れない壮絶な実態が ありました。
主人の自死によって
私や私達の家族が受けた
ダメージには
計り知れない壮絶な実態が
ありました。
イジメやパワハラを与えた
当人たちには
その自覚などほとんど無いとしか
思えません!
何人もの信徒さん達が
過去から
同じ非道なことをされてきた
と証言を伺いました。
私や私達の家族が受けた
ダメージには
計り知れない壮絶な実態が
ありました。
イジメやパワハラを与えた
当人たちには
その自覚などほとんど無いとしか
思えません!
何人もの信徒さん達が
過去から
同じ非道なことをされてきた
と証言を伺いました。
2024年03月17日
今日は 私たちの結婚記念日でした。
2024年03月11日
3月10日 日曜日 私と宇宙 の展示会に行きました。
3月10日 日曜日
私と宇宙
の展示会に行きました。
地球の住所は?
と記載してありました。
大宇宙の中にある
おとめ座超銀河団の中にはある
局所銀河群の中にある
銀河系の中にある
オリオン腕の中にある
太陽系の中にある
第3惑星が
地球の住所だそうです。
火星に行くまで
ロケットでは
約、250日かかるそうです。
地球からの距離は
約、5500万キロ
宇宙的視野をもつことは
私達が
何故?ここに存在しているかにも
つながります。
奇跡の様な
畏怖の念を抱く主の存在を
感じる
地球の中で
神様の教えを説くはずの
教会で
自死にまで追い詰められていく
実態に
改めて失望と虚無感を感じました。
私と宇宙
の展示会に行きました。
地球の住所は?
と記載してありました。
大宇宙の中にある
おとめ座超銀河団の中にはある
局所銀河群の中にある
銀河系の中にある
オリオン腕の中にある
太陽系の中にある
第3惑星が
地球の住所だそうです。
火星に行くまで
ロケットでは
約、250日かかるそうです。
地球からの距離は
約、5500万キロ
宇宙的視野をもつことは
私達が
何故?ここに存在しているかにも
つながります。
奇跡の様な
畏怖の念を抱く主の存在を
感じる
地球の中で
神様の教えを説くはずの
教会で
自死にまで追い詰められていく
実態に
改めて失望と虚無感を感じました。
2024年03月08日
主人が 自死を図る前に教会で 起きていた出来事。
主人が
自死を図る前に教会で
起きていた出来事。
妻の元主治医が
主人と私に電話で話された
証言内容より
トラブルの渦中に
妻の主治医が
元被告に
教団の監督に
教会が異常な状態だから
監督に連絡をして
呼んできてほしいと
頼んでも
元被告はなかなか監督に
連絡をしてくれなかった。
と嘆いていらっしゃいました。
自死を図る前に教会で
起きていた出来事。
妻の元主治医が
主人と私に電話で話された
証言内容より
トラブルの渦中に
妻の主治医が
元被告に
教団の監督に
教会が異常な状態だから
監督に連絡をして
呼んできてほしいと
頼んでも
元被告はなかなか監督に
連絡をしてくれなかった。
と嘆いていらっしゃいました。
自死遺族フォーラムで
自死遺族フォーラムで
私が
発表をした時
主人も
私の隣りに座って
悲惨な事件の実態を
抗議していると思います。
何故!!
教会で
自死にまで
追い詰められていくのか!!
私が
発表をした時
主人も
私の隣りに座って
悲惨な事件の実態を
抗議していると思います。
何故!!
教会で
自死にまで
追い詰められていくのか!!
2024年03月04日
Kさま 体調はどうですか?
Kさま
体調はどうですか?
主人も私も、とても心配をしています。
先日のフォーラムでは
教会で起きている自死の件や
イジメ、パワハラの
実態を発表させて頂きました。
Kさまのお気持ちも
代弁させて頂きましたよ!
なお
真摯にキリスト教の教えに
基づいて悩める方々を
救われている牧師さまも
いらっしゃることは
フォローさせて頂きました。
体調はどうですか?
主人も私も、とても心配をしています。
先日のフォーラムでは
教会で起きている自死の件や
イジメ、パワハラの
実態を発表させて頂きました。
Kさまのお気持ちも
代弁させて頂きましたよ!
なお
真摯にキリスト教の教えに
基づいて悩める方々を
救われている牧師さまも
いらっしゃることは
フォローさせて頂きました。
自死遺族フォーラムで 当事者のSが体験発表をさせて 頂きました。
自死遺族フォーラムで
当事者のSが体験発表をさせて
頂きました。
令和6年 3月2日 土曜日
第 14回
しまね自死遺族フォーラム
in 益田
会場
島根県益田市立保健センター
3階 大ホール
○ 主催
しまね分かち合いの会 虹
自死遺族自助グループ
○ 共催
益田市
○協力
津和野町、吉賀町、
島根県益田保健所
○後援
島根県
益田市議会
益田市教育委員会
津和野町教育委員会
吉賀町教育委員会
益田市社会福祉協議会
津和野町社会福祉協議会
吉賀町社会福祉協議会
益田商工会議所
美濃商工会
津和野町商工会
吉賀町商工会
島根県自死総合対策連絡協議会
島根いのちの電話
自死遺族支援弁護団
山陰中央新報社
ひとまろビジョン
開会の挨拶
しまね分かち合いの会 代表
桑原正好
益田市長
山本 浩明 氏
講演
私たちが子どもの心に
してやれること
在ることへの支援と保育 教育
講師
島根大学理事 副学長
肥後 功一 氏
ミニコンサート
ギター弾き語り
木下 徹 氏
体験発表
当事者のSが体験発表をさせて
頂きました。
令和6年 3月2日 土曜日
第 14回
しまね自死遺族フォーラム
in 益田
会場
島根県益田市立保健センター
3階 大ホール
○ 主催
しまね分かち合いの会 虹
自死遺族自助グループ
○ 共催
益田市
○協力
津和野町、吉賀町、
島根県益田保健所
○後援
島根県
益田市議会
益田市教育委員会
津和野町教育委員会
吉賀町教育委員会
益田市社会福祉協議会
津和野町社会福祉協議会
吉賀町社会福祉協議会
益田商工会議所
美濃商工会
津和野町商工会
吉賀町商工会
島根県自死総合対策連絡協議会
島根いのちの電話
自死遺族支援弁護団
山陰中央新報社
ひとまろビジョン
開会の挨拶
しまね分かち合いの会 代表
桑原正好
益田市長
山本 浩明 氏
講演
私たちが子どもの心に
してやれること
在ることへの支援と保育 教育
講師
島根大学理事 副学長
肥後 功一 氏
ミニコンサート
ギター弾き語り
木下 徹 氏
体験発表